クミン、12年間ありがとう

昨日、クミンがお空に旅立ちました。

ここのブログで報告することもないのですが、ご存知な方もたくさんいるので、やっぱりご報告です。

我が家は三匹の猫ちゃんを飼っていたのですが、ちょうど6年前の今日にトジコが亡くなりました。いいにゃーの日ですね。

その時は猫のブログで報告したのですが、今でもたまにその時の投稿を読み返したりします。
だからやっぱり自分のためにも書いておきたいなと。

Facebookだと流れて消えていっちゃうから。

僕がこれまで一番撮影してきた被写体がクミンでした。それはいつか娘が抜くんだろうけど。

12年前、それこそ今のスマホよりも画質の悪いコンデジ時代からはじまり、デジタル一眼を買ったのも、クミンをもっとキレイに可愛く撮りたかったからです。

大切な家族であり、思い返せば僕の写真家活動の中心の存在なのかもしれません。

これまでに個展などで販売してきたフォトカードの売上は、ダントツでTOP写真の「大福クミン」
書籍の「猫とビートルズ」刊行の際にも、表紙にその写真を推したんだけど内容と合わないから通らず。なんてこともありました。

トジコが亡くなった時は、もっともっと写真を撮っておきたかったなって思って。
それもひとつのきっかけで、ペットとの家族写真を撮るようになりました。

生きてきた証とまでは言えないけど、記憶の中や心の中だけでなく、カタチとして残しておいてあげたいなって。

実際、撮るのはワンコが8割ですが、僕が撮った写真が最期の一枚だった飼い主さんもいます。
その時は見るのが辛くても、いつかきっと宝物になると思っています。

クミンは6歳で糖尿病になり、そこから6年間、朝晩にインシュリンの注射をしてきました。

猫の糖尿病はコントロールが難しく、低血糖で意識がなくなり病院に連れていくこともありました。
低血糖は本当に怖いので、そうならないように自動給餌機も使いながら4時間置きに餌をあげていました。

嘔吐するだけでも血糖値下がるので、丸一日家族でお出かけも出来ませんでした。

発症した頃から随分痩せたけど、それでも元気な姿で家族の癒しでした。

最近は年齢からか血糖コントロールが少し狂いはじめていて、低血糖になることが頻繁になっていました。
病院で糖を入れるとすぐに復活していたけど、今回はその後もぐったり。原因は糖尿病ケトアシドーシスという合併症。

それが10日ほど前の話。
そこからもどうにか治療はしてきたけど、食べ物を受け付けなくなり点滴生活に。

ケトアシドーシスだけでも危篤な状態なのに、食べることが出来ないことから肝リピドーシスになり。腎不全になり。おまけに心臓は元々強くないので、相当な負担がかかっていたと思います。

おひげ動物病院の獣医師さんやスタッフさんはあらゆる手を尽くしてくれたけど、どうにもならなくなりました。

僕はこの10日間は仕事そっちのけで、夜通し看ていました。

しんどそうで、辛そうで、立つことも出来ず、それでも健気に頑張って、フラフラしながら寄ってきて膝にもたれ掛かってきて。

元気な姿をもう一度見たかったけど、尿毒症の痙攣もおこし、今回はどうにもなりませんでした。

どうにかしたいではなく、「もう頑張らなくてもいいよ」が本音だったかもしれません。

クミンは我が家のお笑い担当で、ヘンテコな行動で家族を笑わせてくれました。
ストーカーのように僕を付け回してくる犬みたいな性格でした。
病気のこともあって手のかかる子だったけど、存在感のある子でした。

謎の行動で注意を引き付けて、そのまま妻に内緒で買ったカメラの箱の上に乗って、バラされたこともありました。
興奮すると鼻の下が膨らむ。とにかく個性的な子でした。


うちには騒がしい3歳の娘がいるので、静かにはならないけど、みんな寝静まった夜中にクミンを膝の上に乗せながらパソコン作業することが無くなるんですよね。

亡くなった事実はもちろん悲しいけど、当たり前にそこに居たシーンはたくさんあって。
いまは思い出せないその場面に出会くわすことがまた寂しいんだろうなって。

今日は霊園に連れて行きました。娘も連れて行きました。刺激が強すぎるかもしれないけど、きっと大切な経験だし、何より家族だから。
納骨も終わった帰りの車で、娘が「クミン、クミン・・」と寂しそうにポロポロ涙を流していました。

三歳児にとって死を理解するにはまだ難しい年齢だと思うけど、娘もクミンが好きだったんだなーと思うと嬉しくもあり、そしてもらい泣きです。

悲しみや寂しさがこれまでに貰った笑顔を超えないように。

楽しく、面白く、大切な12年間でした。クミンありがとね。